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アートと愛の物語 by Ichiro
- 2010/12/07 16:56
- エンドユーザー虎の穴
「Herb & Dorothy」を見た。好感を持てる作品だった。英語なら「feel good movie」(気分が良くなる映画)ということになろう。なんと言ってもHerbとDorothyのキャラクターが愛くるしい。最後に二人でPCを買うシーンなどエンディングとしては秀逸だろう。さらに、二人の成功物語でもある。ただの「一般人」が雲の上にある「現代アート業界」において大成功するので痛快だ。そして、愛の物語でもある。お互いがいることによって初めて成り立つコレクションだったわけで、その絆にうらやましいと素直に思うだろう。またアーチストとの関係の持ち方はすばらしい。お金だけの関係ではないところに惹かれる。一方、謎と物足りなさも残る。この作品の良いところは語りつくされているだろうから、この最後の視点から見てみたい。
この作品は「愛の成功物語」である一方、「アートの物語」ではない。二人が集めたモノがアートでなく、切手でも、鉄道模型でも、ガンプラでも良かった。この作品は、答えられていない問いがある。それは、「なぜ二人がアートを(他の数多のモノではなく)買い集めたのか?」それから、「なぜミニマル・コンセプチュアル系の作品を集めたのか?」そして、「買った作品は、なぜこれであり、あれででないのか?」要するに、二人の美的感覚が説明されない。Herbはハンターのように、作品を凝視するらしい。一体、何を見ているのか?作中では、Herbには「観る眼」があるという証言がされるが、映画を観ている方はそれが何だが分からない。Herbが、Richard Tuttleのドローイング(紙ぺらに描いた判然不能なモノ)を見て「美しい?」と感嘆しているのを見て、純粋に不思議に思ったのは私だけではないだろう。あのドローイングのとこが美しいのだろうか(Herbにとって)。これが謎である。
語り足りてない点は、HerbとDorothyのアートとの関わりの必然性だろう。たとえば、二人の生い立ちの描写はかなり短い。なぜなら、生い立ちからアートに繋がる要素があまり無かったからなのではないか。あくまで、この二人は「一般的」な人達であった、ということの説明にしかなっていない。また、なぜミニマル・コンセプチュアル系かという点は、作中でDorothyが、その当時抽象表現主義やポップアートと比べるとかなり「安かったから」と言っていたが、「物語」の始原としては物足りない。この映画をそのまま取ると、二人はたまたまアートが好きになり、たまたまその当時に安かった作品を買い集めた、ということになってしまう。この点で、この作品はナラティブとして物足りなさが残る。監督もこれは分かっていたと思われる。実際、作中でも「なぜ、これ?」のような質問をしているが、確か「ただ美しいから」(?)のような返事ではぐらかされていたように思う(この会話をカットせずにそのまま入れたのは好感が持てる)。
この作品においてアートは必然的な存在ではなく、かつ美の対象としての位置づけとしては説得力がない。しかし、HerbとDorothyの愛(これを愛とよばずして何をよぶか!)とアーチストとの関係は、ある意味美しい。ここは琴線にふれた。なぜなら、一人だけのアートコレクションにはまったく意味がないからだ。人との関係において初めて価値が創出される。ここにアートと愛と美を繋げるヒントがあるように感じる。
by Ichiro
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アートと愛の物語 by いちろう
- 2010/11/15 17:38
- エンドユーザー虎の穴
前回は「ないないずくし」のアートコレクションと書いた。今回は、アートを購入するという行為に何か特別な意味があるのかどうかを考えてみたい。
まず手始めに、切手やフィギュア収集などとアートコレクションに何か違いはあるのか?
消費者が、モノを購入して集めるという行為においては同じに見える。欲しいモノを探す、お金で購入する、自分のコレクションとして一つのかたまりになる、転売もありえる、などかなりの共通点がある。モノの中身としても、現代アートに関しては、切手やフィギュアなどとの明確な差異は見出しにくい(もちろん厳密には区切ることは可能だが、それにあまり意味はないように感じる)。
次に、アートの購入を「サービスの対価」として考えた場合はどうだろう?モノとしての作品はあくまでも結果であり、アーチストが作品を作る行為(サービス)に対して対価を払うという考え。ギャラリストに時々言われることで「この作品は作ったコストが高いので値段も高いです」がある。現代アートにしてみればナンセンスに聞こえるが、なんとなく受け入れてしまうところがあるので、おかしい考えではない。この観点では、数多にあるプロフェッショナルサービス(弁護士、ヘアスタイリスト、シェフ、マッサージ師など)と何か違いはあるのだろうか?スキルを持ったプロフェッショナルが、ある特定のサービスを施す、という点では同じに見える。プロフェッショナルと消費者の距離感はいろいろあろうが、アーチストが作品を作り、ギャラリーで展示して、そこで消費者が見て購入するというプロセルにおいて、大きな差異はなさそうだ。作品の中身に関しても、アーチストが工房で汗水たらして作った作品と、シェフがキッチンで作った渾身の一皿と何か大きな違いがあるだろうか。
上のようなことはすでに当たり前かもしれない。フィギュアや鉄道模型を買うのも、シェフの料理を食べるのも、凄腕のマッサージ師のサービスを受けるのも、アートを買うという行為とあまり大きな意味の違いは感じない。また、さらに言うなら、前回も出てきた、映画、舞台、本などを消費することアートの消費の差異を見出すのはもっと難しいだろう。つまり、マックイーンの服を買って着ること、ロブションの料理を食べること、ピナ・バウシュの舞台を見ること、クリストファー・ノーランの映画を見ること、村上春樹の本を読むことと、アートの消費に大きな違いはないかもしれないということ。これらの「モノ・こと」を消費することに関し(金銭的な数値以外での)価値の差異はあるのだろうか、ということである。(脱線で補足するが、これはすべてのアートが等価と言っているわけではない。やはり、それぞれのジャンルでは、ある程度合理的に「モノ・こと」の良し悪しは判断できるはずで、それをベースに価値づけは出来るはずだ。)
それを言い出したら、人間が「消費」をする「モノ・こと」はすべて等価ではないか、ということになる。これは現状当たり前の結論なのかもしれない。一人一人はそれぞれの趣味で「モノ・こと」を消費しているだけであって、そこには主観的な価値づけしかない。その観点では、アートコレクションも切手コレクションもコミックコレクションもすべて等価であろう。アートに特別な地位はない。
さて、問題は「それがどうした?」である。そんなことは「ポストモダンの時代」においては当たり前ではないか、と言うかもしれない。コレクターは、黙って好きなアート作品を買ってろ、と。そして、アーチストは誰に自分の作品が消費されるか分からずに、ただ制作に専念しろ、と。
本当にそうだろうか?
by いちろう
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アートと愛の物語 by 猫イチロー
- 2010/10/28 18:10
- エンドユーザー虎の穴
コレクターと称してよいのか分からないが、私は「アート」を時々購入する。芸術は自分のアイデンティティに強く関わる。すべてのクリエイティブプロダクション(広義の芸術)が好きだ。映画、音楽、舞台、文字、絵、彫刻なんでも。しかし、(狭義の)「アート」だけが唯一大金がかかる。映画や小説にかなりの衝撃を受けることはある。それでも、1作品(1経験)が1000円台。だが、「アート」を消費・保有するには何十万、何百万、何千万円かかる。それでも、お金をかけて「アート」を買う。なぜか?これが最大の謎である。
小説を読む人々はすべて対等である。同じ本を読んで、それぞれが解釈し、感じる。しかし、「アート」を見るだけの人と買う人は対等ではない。一時的には、見る快楽は同じである。しかし、作品を買って家に持ち帰ってしまうと、その作品を他の人達は見れなくなる。この「権利」にそれだけの価値があるのか?映画、音楽、舞台、小説の価値は経験が元になる。一方、「アート」を買うことは、経験+所有となる。所有すれば、その作品に対して何をしても良いはずだ。美術館に展示してあるアートと違って、所有する作品は触っても良いし、音楽をかけて、酒でも飲みながらのんびり見てもよいし、なんと言ってもいつでも見れる。しかし、毎日見ていたら飽きてくるのではないか。シラフの時は良いと思って購入しても、酔って落ち着いて見てみたら大したことないと思うかもしれない。これは恐怖だ。大枚をはたいて購入したのにきらいになってしまう。しかも作品によっては売る先もない。この「権利」は怖いものでもある。
作り手はどうか。小説家で、読み手が一人だけになるような作品を書く人がいるだろうか(しかもその相手を選べない)。なるべく多くの人に読んでもらいたいと思う作家がほとんどだろう。美術館だけに作品を売れるようなアーチストは違うのかもしれない。ただ、その場合でも、保有している作品を美術館が展示するとは限らない。「アート」作品の多くは公共的な美術館によって保有されるが、さらに多くは個人が最終的な持ち主となる。したがって、(狭義の)「アート」は他の芸術と違ってプライベートな関係性を持っていると言えよう。作家と持ち主の。このプライベートな関係性にそれだけの価値はあるのか?
当然「アート」は、家(自宅の建設に大金をかける人は多い)と違い実践的な使い道はない。また、オークションで売ることが出来なければ、貨幣的価値もほとんどない。我が家では猫を飼っているが、その猫にとって立体作品は「遊び場」以外の何物でもない。「アート」に興味がない人が自宅に来たら、作品に対しまったく何の反応がない場合がある(猫と同じか)。人に自分の趣味を自慢する気は毛頭ない。「アート」の所有は、ないないづくし、だ。しかも怖い。
それでも、「アート」探しに奔走し、作品は増え続ける。
なぜか。
by 猫イチロー
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エンドユーザー
- 2010/10/17 09:50
- News | エンドユーザー虎の穴
はじめまして、『コレクター虎の穴』 に絶対音感な本音をぶつけていこうと思っている私、【しゃらくせいやぁー】 です。
まず 『コレクター』 という言い方、これが元々好きではない。
『コレクター』 というのは、 ”モノに依存する収集家” 。
私は、身を削って働いたジェニ(銭)で購入するので、”買い手” 『エンドユーザー』 という方がしっくりとくる。
よく雑誌で 《コレクターの部屋》 などと銘打って紹介されているが、それを見た時 「うわぁー、すっげえコレクション!」 というのが一般的な解釈。
エンドユーザーは違う。
「これは2008年の××ギャラリーの個展で初日前に売れてた作品で、その隣はあの作家の初期作品。 これは××美術館のグループ展で展示してた作品で、 これはディーラーから ”買いませんか?” と画像が送られてきた作品・ ・ ・ 。」
コレクションを見れば、エンドユーザーの大体の器がわかる。
ここまでたどり着くまで、どれだけの労力と銭を費やしているか?
どこまでのネットワークがあるか?
エンドユーザーとして今現在どのステージにいるのか?
つまり ”er” が付いているかぎり主役はあくまで買い手、作品とはその時の作家の生きざまであり、作家と作品は一対。
その生きざまを我々エンドユーザーは銭を出して買い、先見の明を養う。
寝ても覚めてもアート、アートに命をかけてる! と堂々と言える時期を経験した者だけが、次のステージへと進むことができる。
エンドユーザーは、作品というものに関して、大きく分けて三つの段階を経ることによって成長していく。
ミル → ミセル → ミセナイ
ミル ・ ・ ・ とにかく数をこなす (3年未満) 。
ミセル ・ ・ ・ 部屋に飾ったり、美術館からの貸出の依頼 (10年未満)
ミセナイ ・ ・ ・ 手の内をすべて明かさず、保管方法を変えたり、戦略を練る (15年以上) 。
つまり、年数とフットワーク・ネットワークによりステージが違ってくるということ。
そして、時代・時期によってもそれは異なります。
果たして、エンドユーザーとは何者なのか?
それは、”群れる” と ”孤独” の流れにあり!
つづく
しゃらくせいやぁー
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京都造形芸術大学 芸術学部 美術工芸学科






























